岡本太郎について
岡本太郎は1911年2月26日生まれの日本の芸術家である。
若かりし頃に、フランスで過ごし、抽象美術運動たシュレレアリスム運動と直接関わった。
戦後に関しては、積極的に日本で絵画・立体作品を制作するかたわで沖縄や縄文などのプリミティブである美術を再評価するなど、文筆活動も積極的に行っていたといわれる。
芸術家には珍しくテレビや雑誌などのマスメディアにも積極的に出演している。
太郎は両親に関しては少々苦労している。
父親の一平は朝日新聞で漫画漫文という彼独自のスタイルで連載を行っており、かなりの人気を博していた。ただ金遣いが荒く、
収入のほとんどを付き合いのために使ってしまうほどで、家の電気を止めたこともあるみたいだ。
母親のかの子は、大地主の長女として育ち世間知らずの家政や子育てが全くできない人であった。
後に太郎は「母親としては最低の人だった」と語っているエピソードがある。さらには不倫を繰り返し彼女の愛人でもある堀切を一平公認で自宅に住まわせた
父一平が朝日新聞の特派員として、ロンドン海軍軍縮会議の取材に行く際には、太郎も東京美術学校を休学して以後10年間をここで過ごした。
1932年には、両親が帰国の途についたが、太郎の帰国を待たずに死去してしまった。
彼の有名な作品として、「太陽の塔」がある。1970年の大阪での万国博覧会での巨大なシンボルタワーとして存在し、今でも万博記念公園に残っている。



